「憧れの島」が、いま「行ける島」へ変わろうとしている。長崎県・対馬最北端の上対馬地区では7月1日、アングラー受け入れ事業が本格スタートした。比田勝港の防波堤開放をはじめ、レンタルタックルや送迎、遊漁船の紹介など、アングラーを支える受け入れ体制が整えられた。背景には、水産庁が推進する「海業(うみぎょう)」という新たな地域づくりがある。現地を取材すると、釣り場開放だけではない「また来たい島」を目指す取り組みが見えてきた。
(アイキャッチ画像提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)

憧れの島・対馬
「一度は対馬で竿を出してみたい。」そんな思いを抱くアングラーは少なくないだろう。
九州本土から海を隔てた国境の島・対馬は、豊かな魚影と雄大な自然に恵まれた、日本屈指の遠征フィールドとして知られている。島を取り巻く海には対馬暖流が流れ込み、四季を通じて多彩な魚が回遊する。
外海ではヒラマサやブリ、クロマグロなど大型回遊魚との豪快なファイトが楽しめる一方、岩礁帯ではキジハタやアカハタ、カサゴといった根魚が狙える。湾内ではマダイやアジなども魚影が濃く、ショア・オフショアを問わず、多彩なターゲットに出会えることが対馬の大きな魅力だ。
上対馬漁協水揚げ風景(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)今回取材した上対馬地区は、対馬最北端に位置するエリア。入り組んだリアス海岸には天然の良港が点在し、穏やかな湾内から外洋に面したダイナミックなポイントまで、多彩なフィールドが広がる。晴れた日には約50km先の韓国・釜山方面を望むことができる国境の町ならではの景観も、この島を特別な遠征先にしている。
これほど恵まれた釣り場でありながら、多くのアングラーにとって対馬は「いつかは行ってみたい」と思い描く憧れの島であり続けてきた。
その理由は、魚影の濃さでも、アクセスの距離でもない。遠征ならではの不安や情報不足が、多くのアングラーにとって大きな壁となっていたのである。
鰐浦漁港・50km先は韓国(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)「行きたいけれど行けなかった」理由
対馬は、多くのアングラーにとって憧れの遠征先である一方、「行ってみたいけれど、一歩踏み出せない島」でもあった。
本土の人気釣り場であれば、インターネットやSNSで釣果やポイント、アクセス方法まで簡単に調べられる。しかし対馬は広大な島に数多くの漁港や磯が点在し、初めて訪れる人が「どこで釣ればいいのか」を判断するのは容易ではない。
釣り場までのアクセスや駐車場所、利用ルール、立ち入り可能なエリアなど、遠征前に知っておきたい情報が十分に得られず、「知らずに迷惑を掛けてしまうのではないか」という不安を抱く人も少なくなかった。
さらに、飛行機や高速船を利用する遠征では、ロッドケースやクーラーボックスなど荷物がかさみやすい。遊漁船を利用したくても、予約方法や船宿の情報が分かりにくく、現地での移動手段に悩むケースもあった。
つまり、多くのアングラーを遠ざけていたのは、魚が釣れないからではない。「釣り場が分からない」「ルールが分からない」「現地でどう行動すればいいか分からない」という、情報と受け入れ体制の不足だったのである。
こうした”見えない壁”を取り除こうと立ち上がったのが、上対馬漁業協同組合だ。
5月20日セレモニーの様子(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)地域全体でアングラーを受け入れる
上対馬漁業協同組合は水産庁が推進する「海業(うみぎょう)」の考え方を取り入れ、アングラーを地域全体で迎え入れる新たな仕組みづくりをスタート。2026年7月1日からは、比田勝港を拠点とした受け入れ事業が本格的に始動した。
長年、「いつか行きたい」と憧れられてきた対馬は、いま「安心して訪れ、思い切り釣りを楽しめる島」へと、大きく変わろうとしている。
拠点となる比田勝港(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)比田勝港を受け入れ拠点へ
その”見えない壁”を取り除くため、上対馬漁業協同組合が受け入れ拠点として整備したのが、対馬北部の玄関口・比田勝港だ。
2026年7月1日からスタートした受け入れ事業では、港内の防波堤を一般開放。これまで漁業者が利用する場所という印象が強かった港が、アングラーや観光客にも開かれた新たな交流の場へと生まれ変わった。
上対馬漁協前の防波堤を一般開放(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)最大の特徴は、「初めての対馬でも安心して釣りが楽しめる」環境を整えたことにある。
防波堤へは送迎船を運航し、釣具を持参しなくても楽しめるようレンタルタックルも用意。
お手軽なレンタルタックル(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)さらに、遊漁船の紹介や釣り場情報、当日の海況など、遠征アングラーが必要とする情報も提供される。これまで不安の種だった「どこへ行けばいいのか」「どう予約すればいいのか」といった悩みを、ワンストップでサポートする体制が整えられている。
防波堤への送迎船(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)港を歩くと、整備された岸壁の向こうには対馬の海が広がり、穏やかな港内にはゆったりとした時間が流れていた。これまで”漁業者の港”だった場所が、地域とアングラーをつなぐ玄関口として新たな役割を担い始めていることを実感する。
もちろん、この取り組みは初心者や家族連れだけを対象にしたものではない。
港で手軽に釣りを楽しんだ後は、遊漁船で沖へ出て青物や根魚を狙う本格的な釣行へ発展させることもできる。対馬遠征の入口として利用しながら、旅のスタイルや経験に応じて釣りの幅を広げられる点も大きな魅力だ。
おっどん市場内の受付(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)比田勝港が目指しているのは、単なる釣り場の提供ではない。アングラーが迷うことなく島を訪れ、安全に釣りを楽しみ、地域との交流を深めるための”受け入れの仕組み”そのものを築くことにある。
そして、その中心となるのが、港に隣接する交流拠点「おっどん市場」だ。アングラーが集い、地域の食や文化に触れ、生きた情報を得られるこの施設は、上対馬の海業を象徴する存在となっている。
おっどん市場外観(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)おっどん市場
比田勝港に隣接する「おっどん市場」は、今回の海業を象徴する交流拠点だ。2026年5月20日に供用を開始して、地域の人々と観光客、そしてアングラーをつなぐ”海の玄関口”として新たな役割を担っている。
おっどん市場がオープン(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)「おっどん」とは、対馬の方言で「私たち」を意味する言葉。その名のとおり、この施設は漁協だけのものではなく、地域のみんなで育て、訪れる人を温かく迎える場所という思いが込められている。
館内には、対馬近海で水揚げされた鮮魚や水産加工品が並び、旬の魚介を味わえる食事スペースも併設。釣りを楽しんだ後に、対馬ならではの海の幸を味わえるのも魅力の一つだ。
さらに、藁焼き体験など地域の食文化に触れられるプログラムも用意され、釣りだけでは終わらない対馬ならではの時間を楽しむことができる。家族や同行者にとっても立ち寄りやすい施設となっており、「釣りをしない人も楽しめる」という点は、これまでの遠征スタイルにはなかった大きな魅力といえる。
おっどん市場の小林さん(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)一方で、アングラーにとって、おっどん市場は食事や買い物を楽しむ施設以上の存在だ。
その日の海況や釣果、遊漁船の情報、周辺エリアの案内など、地元ならではの”生きた情報”が集まり、初めて対馬を訪れる人にとっては心強い情報発信拠点となっている。
おっどん市場の情報掲示板(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)釣りを楽しみ、島の食を味わい、地元の人と会話を交わす。そんな体験を通して、対馬の魅力をより深く知ることができるのも、この施設ならではの魅力だ。
釣り、食、体験、交流を結び付け、海の恵みを地域の活力へとつなげる。それが、おっどん市場が担う「海業」の役割である。
その構想を描き、上対馬の海業を力強く推進してきたのが、上対馬漁業協同組合代表理事組合長であり、上対馬海業推進協議会会長を務める八島康平会長だ。
「海業」の未来はアングラーと地域がともに歩む島へ
上対馬で進む海業の中心にいる八島康平会長が、取材でまず語ってくれたのは、豊かな海を抱える地域だからこその危機感だった。
「上対馬は対馬暖流の恩恵を受け、多くの魚種が水揚げされる恵まれた漁場です。しかし、漁業者の高齢化や後継者不足、水産資源の減少、燃油価格の高騰など、浜を取り巻く環境は年々厳しくなっています。このままでは地域の活力が失われてしまうという危機感がありました」
対馬は恵まれた漁場(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)そうした課題を前に、新たな地域づくりの柱として取り組み始めたのが「海業」だった。
「魚を獲るだけではなく、海や漁港、地域の文化そのものを資源として活用し、多くの人に上対馬を訪れていただく。それが地域のにぎわいを生み、漁村の未来につながると考えています」
色とりどりの豊富な魚種(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)八島会長が繰り返し口にしたのは、「アングラーを増やすこと」が目的ではないということだった。
「単に釣り場を増やすことが目的ではありません。アングラーが安心して釣りを楽しみ、地域ともつながっていただける環境を整えることが、海業の大切な役割だと思っています」
この言葉は、比田勝港の防波堤開放やレンタルタックル、送迎船、おっどん市場での情報提供など、今回取材した一つひとつの取り組みに通じている。アングラーを”お客様”として迎えるのではなく、地域の魅力を共有し、ともに海を未来へつないでいく仲間として迎えたい。そんな思いが伝わってきた。
最後に今後の展望を尋ねると、八島会長は力強くこう締めくくった。
「海業は漁協だけでは実現できません。行政や港湾関係者、地域の事業者、そしてアングラーの皆さんと一緒になって育てていくものです。ルールを守り、海を大切にしながら、この素晴らしい上対馬の魅力を楽しんでいただきたいですね」
八島康平会長(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)その構想は地域内だけでなく、国からも高く評価される取り組みへと発展している。八島会長が繰り返し口にしたのは、上対馬で始まった挑戦は、アングラーを呼び込むための事業ではない。豊かな海と地域の暮らしを次の世代へつなぐため、アングラーと地域が新しい関係を築く取り組みなのである。
全国が注目する「海業」モデル地区へ
上対馬で進む海業は、地域独自の取り組みにとどまらず、全国の漁港関係者からも注目を集めている。
その理由は、漁港を「漁業者だけの仕事場」ではなく、釣りや観光、食、体験などを通じて地域のにぎわいを生み出す拠点へと発想を転換した点にある。
こうした取り組みが評価され、上対馬地区は2023年に水産庁の「海業振興モデル地区」に選定された。海業とは、水産物を「獲る」だけでなく、漁港や漁村が持つ自然や文化、食といった地域資源を生かし、交流人口や地域経済の活性化につなげる新しい地域づくりの考え方だ。
さらに、その取り組みを港湾でも展開する比田勝港は、2024年に国土交通省港湾局の「釣り文化振興モデル港」に指定された。港を安全に開放し、アングラーを受け入れながら地域との共生を図る先進的なモデルとして期待されている。
今回始まった防波堤の一般開放も、その取り組みの一つである。単に釣り場を整備するだけではなく、安全管理や利用ルールの周知、環境保全、漁業者との共存までを含めた「安心して釣りを楽しめる港づくり」を目指している点が大きな特徴だ。
現在、海業の対象となっているのは、比田勝港をはじめ、泉漁港、鰐ノ浦漁港、豊漁港、大浦漁港、富ケ浦漁港、唐舟志漁港、浜久須漁港の8港。今後は、それぞれの港の特色を生かしながら、釣り、食、体験、観光を組み合わせた地域づくりがさらに進められていく。
浜久須漁港(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)全国では釣り場の閉鎖や立ち入り禁止が増える中、上対馬が示そうとしているのは、アングラーと地域が互いにルールを守り、海を未来へ受け継いでいく「共生」の仕組みである。その挑戦は、これからの漁港活用の一つのモデルとして、全国へ広がっていく可能性を秘めている。
「また来たい対馬」を目指して
対馬の魅力は、大物が狙える豊かな魚影だけではない。
荒々しい磯に砕ける波、穏やかな入り江に浮かぶ漁船、港に響くエンジン音。そして、島を訪れる人を温かく迎える地域の人々。取材を通して感じたのは、上対馬には釣り旅を特別なものにしてくれる風景と人の営みが息づいているということだった。
印象的だったのは、アングラーを「お客様」としてではなく、海や地域をともに支える仲間として迎えようとする姿勢である。
八島会長が取材の最後に語った「海を大切にしてくれる人に、ぜひ対馬へ来てほしい」という言葉には、この取り組みの本質が凝縮されていた。

全国では釣り場の閉鎖や立ち入り禁止が相次ぐ中、上対馬はアングラーと地域が信頼関係を築きながら海を未来へつないでいく、新しい可能性を示そうとしている。
「一度は行ってみたい」と憧れていた対馬は、いま「また帰ってきたい島」へと歩み始めた。
次の遠征では、魚を追い求めるだけでなく、島の人と語らい、その土地の文化や食にも触れてみてほしい。
そこには、大物との出会いだけではない、人との出会い、島との出会いが待っている。
上対馬地区の未来を支えるチカラ達(提供:上対馬地区海業推進協議会・株式会社K-code山口将典)▶問い合わせ先:おっどん市場(小林様)長崎県対馬市上対馬町比田勝955 TEL.0920-86-3523
<齊藤真/TSURINEWSライター>
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